AIの歴史 第一次ブーム(探索と推論)
- 作成日: 2025-02-05
- 更新日: 2025-02-09
- カテゴリ: AIの歴史
人工知能の歴史

人工知能の歴史というのはどういった歴史なんでしょうか。
これは簡単に言いますと1950年代から始まる人工知能ブームの単発的な到来で見ることができます。
つまり、人工知能研究のブームが時代ごとにあって、そのブームの中で新しい技術が開発されているということです。
AI研究自体は1950年代から始まっており、その歴史は現在からさかのぼると80年近くの歴史があります。
そして現在(2025年)は第3次ブームの真っ只中と言われています。
皆さんも生成系AIなどを使ったことがあるかもしれませんが、そういったAIにもブームがあるわけですね。
ではそのブームをさかのぼって第1次AIブームから見ていきましょう。
第1次ブームの到来
AI研究の第1次ブームは1950年から1960年の間になります。
このブームでは以下の技術が日の目を見ることになりました。
- 探索、推論
- 自然言語処理
- ニューラルネットワーク(パーセプトロン)
なんと自然言語処理やニューラルネットワークなんかはこの時代の産物なんですね。
私もプログラミングで自然言語処理を使ったり、ニューラルネットワークを本で見かけたりすることがありますが、そんな昔からある技術なんですね~。
第1次ブームは探索、推論のブームと言ってもいいと思います。
さまざまな技術が探索、推論という形で開発されてそれによって人工知能の基礎となるところを作っていきました。
チューリングテストの提唱

アラン・チューリングが1950年にチューリングテストと呼ばれることになる手法を論文「Computing Machinery and Intelligence」で発表します。
これは「コンピュータが思考できるか」という問いに対する結果のテスト方法でした。その方法とは・・・
- 評価者がコンピュータと人間の両方とテキストでやり取りする
- 評価者はどちらが人間で、どちらがコンピュータか判断する
- もし評価者が区別できなければ、そのコンピュータは知的である
という方法でした。
つまり簡単に言うと、コンピュータと人間の両方に質問して、それで両者を区別できなければそのコンピュータは頭が良いというテストです。
チューリングは「機械が思考できるか」という問いを「機械が人間らしく振舞えるか」という問題に置き換えました。このテスト手法はその後のAI研究に大きな影響を与えて、人工知能の目標の一つとして認識されるようになりました。
チューリング自体は、コンピュータは2000年までにこのテストに合格する可能性があると予測していました。
しかしその予測は外れ、2014年6月7日に、ロンドンのテストでロシアのチャットボットのユージーン・グーツがこのテストに初めて合格しました。
このチューリングのチューリングテストの提唱はその後の1956年のダートマス会議につながり、第一次AIブームの理論的基盤の1つになりました。
ダートマス会議で人工知能が一般的に
1956年の夏(7月から8月)に開催されたダートマス会議では、人工知能という用語が一般的になりました。
ダートマス会議は正式名称は
- ダートマス・サマー・リサーチ・プロジェクト・オン・アーティフィシャル・インテリジェンス
と言います。
長い! なんでこんな長い名前なんだ! と思いますよね。
しかしこういった名称はあとで略すことを前提にして長い名前が付けられることも多いです。
名称あるあるですね。
この会議は以下の研究者が提唱して開催されました。
- ジョン・マッカーシー
- マービン・ミンスキー
- クロード・シャノン
- ネイサン・ロチェスター
主催者はジョン・マッカーシーです。ダートマス会議は8週間にわたる研究会議として企画されます。開催場所はダートマス大学で開催されました。
ジョン・マッカーシーが「人工知能(Artificial Intelligence)」という用語を提案します。
人工知能という用語は1956年の夏に生まれたわけですね。
それまでは「オートマトン」や「サイバネティクス」などの用語が使われていて、統一性はありませんでした。
ダートマス会議では機械による言語の使用やニューラルネット、計算理論、機械による抽象化や創造性、コンピュータの自己改良など、さまざまなことが話し合われました。
このころからAIという研究分野が正式に確立します。
AI研究の夜明け! ということですね。
この会議に参加した研究者たちはその後のAI研究で中心的人物になっていきます。
また論理的な思考をコンピュータで実現する可能性が見出されました。
以上、このダートマス会議は1960年まで続く第1次AIブームの出発点となったのでした。
ニューラルネットワークのパーセプトロン開発
1957年にコーネル大学のフランク・ローゼンブラットという人がパーセプトロンを開発しました。
これは生物の神経細胞(ニューロン)の仕組みを模倣したものです。
当時のIBMコンピュータ「IBM 704」で実装されました。
パーセプトロンの仕組みは以下になります。
- 入力層で情報を受ける
- 重みづけされた結合を通して信号を伝達
- しきい値関数を使って出力を決定
- 単純な2値分類(Yes/No)が可能に
このパーセプトロンの仕組みは後の機械学習の基礎となるものでした。
視覚認識システムの先駆けとなりました。
パーセプトロンは機械学習の基礎となる考え方を世界に提供しました。
また、脳の仕組みを模倣することでAIの可能性を示しました。
当時のAI研究者たちは多大な影響を受けたことでしょう。
また、ニューラルネットワーク研究の出発点となりました。
パーセプトロンは第1次AIブームの重要な技術的ブレークスルーの一つとして位置づけされています。
ELIZAの開発
1964年から1966年にかけてMITの研究者であるジョセフ・ワイゼンバウムによって人工対話システムELIZEが開発されました。
ELIZEは自然言語処理によって人間とコンピュータの対話の可能性を探る目的で開発されました。
当時としては画期的なシステムだったらしいです。
これは今でいう「人工無能」の元祖です。
ELIZEは精神科医のカール・ロジャースの手法を模倣する形で実装されました。
これはキーワードに基づくパターンマッチングです。
人間の発言(入力)を質問形式にして返答するというものでした。
仕組みとしては単純なルールベースのシステムです。
今でもPythonと自然言語処理ライブラリがあれば誰でも作ることができます。
たとえば人間が「今日は寒かった」と発言します。
そうするとELIZAは「あなたは寒かったと言いましたが、それについてもっと話してください」と言ったような質問を返答します。
そういったことの繰り返しで対話を成立させていきます。けっこう単純なシステムですね。
ELIZAは人類史としては初めての対話型プログラムになりました。
そのため先述のチューリングテストについての議論も活発となりました。
また自然言語処理の可能性を示すものとしても有意義なものでした。
人間と人工知能の対話の可能性を示したものとしても大変意義のあるものでした。
社会的な影響としてはELIZAを使っている人がELIZAに対して愛着を示すという現象が見られました。
やっぱり人間は自分の会話を聞いてくれる相手には愛着を示すんですね。
ELIZAが人間だと疑わない人も中にはいたようです。
また人間とコンピュータの関係性についての議論も呼び起こしました。
それからAIの倫理的問題についての議論のきっかけともなりました。
このようにELIZAは第1次AIブームにおいて自然言語処理の成果として知られています。
文字認識と音声認識の基礎的研究
第1次AIブームでは文字認識と音声認識の基礎的研究が行われました。
パーセプトロンを代表する単純な文字認識や、アルファベットや数字の認識実験。
それからパターンマッチングによる手書き文字の認識。
これらは主に2値(白黒)での認識が行われました。
IBMやBell研究所などが中心となって研究していました。
音声認識は音声波形のパターン分析や音素レベルでの認識実験。
限られた語彙での単語認識などが研究されました。
BBN(Bolt Beranek and Newman)社などが先駆的研究を行いました。
しかし当時はコンピュータの計算能力の限界などもあり、あまり研究ははかどりませんでした。
メモリなども容量に限界があったし、入力装置の精度も不足していました。
またアルゴリズムも未熟で、それなりの成果をあげるに留まりました。
しかしこれらの研究によってパターン認識の基礎理論の確立がおこなれたり、特徴抽出手法の開発が行われたり、また統計的手法の導入などがあり、後のAI研究の基盤となりました。
この第1次AIブームにおける文字認識と音声認識の研究が現代のものの重要な基礎となっています。
第1次ブームの終焉、冬の時代の到来
1960年代後半に第1次AIブームが終焉しました。その後はAI研究の冬の時代です。
パーセプトロンは当時としては画期的でしたが、XOR問題が解けないという問題がありました。
これはミンスキーとパパートの著書『パーセプトロン』(1969)で理論的限界が指摘されています。
自然言語処理の複雑さが予想以上だと判明したのもこの時です。
また計算リソース、つまりコンピュータの性能の限界もありました。
メモリやCPU性能の限界があり、研究がはかどりませんでした。
複雑な問題を計算するには計算コストがバカにならないからです。
当時の研究者は楽観的な予測をしていましたが、その予測は実現しませんでした。
汎用AIの実現が予想よりかなり難しいということが判明したのです。
また第1次ブームによっても有用なアプリケーションはそれほど生まれませんでした。
それからお金の問題もあります。
政府や企業からの研究費が激減し、特にLISPマシンなどのAI専用計算機への投資が減少してしまいました。
そのため多くのAIプロジェクトが中止や規模縮小となりました。
うーん、冬の時代ですね。つらいもんです。
当時の研究者も辛かったんでしょうね~。
冬の時代は1970年代前半まで続きます。
その後、エキスパートシステムの登場により、第2次AIブームが始まることになります。